•  やってみませんか毛利治郎ライブ 

      ●音響機器は持っていきます●チラシ、パンフ、チケットが必要であればこちらで作成します。●開催時間は朝でも午後でも夜でも結構です。●ギャラについては相談事ですが基本的には主催者の予算の範囲内で決めていただければ結構です。●お酒の席では唄いません。お酒はライブが終わってからお願いします。

      こんな感じでやっています。ぜひお気軽に声をかけてください。

       

    • 今後のライブ情報
        • 6月3日(土) 「和木町福祉まつり」 (玖珂郡和木町)会場:和木町総合コミュニティーセンター
        • 6月4日(日) 「ホタル復活推進イベント 第7回 毛利治郎ホタルライブ 」(倉敷市)会場:旧原田邸(倉敷市酒津) 開演16:30 1800円(ケーキ&ドリンク付)
        • 6月9日(金) 定期ライブ「こっそりライブ in 周南」 (周南市)会場:カルチェラタン  PM8:00開演 1000円(1ドリンク付き)
        • 6月10日(土) 「蛍ライブ in BerryBerry」 (田布施町)会場:里山カフェ ベリーベリー PM7:00開演  当日1200円
        • 6月14日(水) 特別養護老人ホーム「玖珂苑」訪問(岩国市玖珂町)
        • 6月14日(水) 「こっそりライブ in やない」 (柳井市)会場:アクティブやない2F音楽室  午後7時開演
        • 6月18日(日)  仏教下松壮年大会 (下松市)会場:正立寺  13:30~
        • 6月22日(木) 「花咲美ライブ」 (山口市)会場:花咲美ハウス PM2:00開演 1000円
        • 6月25日(日) 劇団「わ」公演 「ホテルやまなみ」 (周南市鹿野町)会場:鹿野公民館 PM7:00開演 無料
        • 6月27日(火) 玖珂幼稚園訪問(岩国市)

プロフィール

jiro_mouri01

誕生:昭和30年1月11日、福岡県大牟田市で生まれる。山羊座 AB型
2歳:父親の仕事の関係で、山口県岩国市に転居
岩国小学校 岩国中学校へ進む。
中学3年:自我に目覚める。「自分と言う人間を知りたい」欲望に駆られる。加藤諦三の「俺は今何かをしなければ」と言う本に出会い、このままでは いけないと切に思う。自分を取り巻く環境をZEROにし、自分の力で再構築したいと考え、「東京の高校にいきたい」と親に言うが、取り合ってもらえず、そ れならば自分のことを誰も知らない高校に行きたいと、区域外の山口県立高森高校を見つけ、進学する。
高校1年:高校生になっても「何かをしなければ」「何かで自分をためしたい」と言う気持ちが強く、夏休みに寝袋を背負って北海道一人旅にでる。3週間の一人旅を通じて、自分が小心者であることを痛感すると同時に、やればできるという小さな自信をつかむ。
<エピソード>:北海道からの帰り、東京で泊まる所が無く、山手線は24時間運行していると信じていた僕は、電車の中で寝ることにした。ところが 午前1時過ぎ、大崎の操車場で係員に起こされ追い出される。屋台のおっさんに事情を話すが泊めてもらえず、恐ろしくなって交番へ駆け込む。「留置場でもい いから泊めてください」「ばかもの!留置場はそんな所ではない」とおまわりに叱られ、持っていた手荷物を細かく検査される。深夜3時頃交代したおまわりさ んが防府出身だったため、やさしくしてもらいほっとする。が、始発電車に放り込まれる。
高校2年:修学旅行に行かない代わりに、そのお金で夏休みに再び北海道一人旅を行う。(先生を困らす)1回目の旅に比べ慣れたせいか少し余裕を 感じるとともに「同じ事を2回やっても、2回目に得るものは少ない」と感じ、もっと別の何かをやりたいと思う。この頃深夜放送でフォークソングに出会う。 ギターを始める。テレビでは聴けないような若者の心情をストレートに歌うフォークソング、自分もやろうと決意、仲間とともに活動開始。学校の文化祭等では 満足できず、公民館などを借りて自主コンサートを行う。
高校3年:受験が近づくが相変わらず音楽活動を行っていた。「大学はどこか通るだろう」とたかをくくっていた。・・・受験校は全部不合格。
浪人:浪人しても音楽活動を行っていたが、11月ごろ「このままでは、また全部落ちるぞ」とはたと気付き、3ヶ月間だけ必死で勉強する。その甲斐あって中央大学文学部哲学科に合格・・・・ほっとする。
<エピソード>:浪人時代はパチンコ三昧。岩国にあった反戦喫茶「ほびっと」へ入りびたり、テルアビブ空港の乱射事件に関連してほびっとに警察乱 入、そこにいた僕は他の客と「友よ」を歌って抵抗する。この件で検察から参考人として事情聴取する旨のはがきが家にくる。大学合格に家族はよろこんでいる はずと思って帰郷したが、このハガキのため家族から冷ややかな視線を感じる。
大学1年:前期は大学に行かず、東京の街を毎日ぶらぶらしていた。夏休み前に、テストがあることを知り学校に行くとクラスでは「まったく学校に 来ない幻の人物」になっていた。学校には行かなければいけないと改めて気付く。とりあえず知り合った友人と人形劇サークル「しゃぼん玉」を創立。しばらく はサークル活動を行っていたが、やっぱり音楽しかないと思い、サークル仲間に「わしゃあ、やっぱり音楽をやる!」と自ら創ったサークルを退部。池袋のシア ターグリーンという会場でコンサートを行う。ライブハウスでも歌い始める。
大学2、3年:引き続き音楽活動をやり、プロダクションに出入りし始める。多少音楽業界のことを知る。
大学4年:このままでは単位不足で卒業できない事を知り、まじめに大学に通う。音楽で飯が食いたいと思っていたが、いざ就職時期になると、小心者 の自分が現れる。サラリーマンの家庭で育った自分が音楽で飯を食うのは並大抵ではない。とりあえず田舎に帰って就職しよう!と挫折する。
社会人初期:地元の金融機関へ就職し、その後もしばらくは歌を歌っていたが、自分の歌と生活のギャップに「もう歌えない」と思い25歳の頃、音楽活動停止、その後40歳になるまで15年間冬眠する。
25歳頃:武者小路実篤に憧れる。自分の理想を実現するため私財をなげうって宮崎の山奥に“新しき村”を創設、作家、書家、画家、哲学者、思想家等、どの範疇にも入りきらない独自の生き方に感銘する。
30歳:現在の住居である周東町の祖生という山奥に住み始める。この頃NHKのドラマ「大草原の小さな家」の影響と武者小路実篤の“新しき村”へ の憧れが合わさり、田舎に住みたいと強く思った。生まれてはじめて米作りを始める。いのしし、ウンカ、マムシ等と戦いながら、必死で百姓をやったが、つい に4年間で挫折、4年目は2反で1表の米しか採れなかった。
35歳頃:大分県九重に別荘地購入。当時はバブル期、「きっともう10年もすると日本人の多くがセカンドハウスを持つようになる、その時では地 価も高くなるから先見の明でいまの内に買おう!」ここまでは良かったが、国立公園内で300坪に1軒しか建物が建てられない土地で買った土地は100坪、 また買った相手が免許を持っていない悪徳不動産業者だったため逮捕され、自分も大分県警から事情聴取を受ける。バブル崩壊。何も出来ない土地100坪だけ 残る。
40歳:父親が死亡。ショック。父親の人生をふり返り、「親父は幸せだったのだろうか」「自分はこれでいいのだろうか」と考える。その結果、 「やりたいことをやらないで死ぬ訳にはいかない」「もう一度音楽をやろう!」と決意し、曲を作り始める。玖珂町の子供の館で「ユニセフ支援チャリティーコ ンサート」を開催する。(以降3年間同コンサートを主催する)
41歳:光市のライブハウスで歌い始める。この頃からホームコンサートもやり始める。
50歳:知人と音楽を通してボランティア活動をする“ダンデライオン”を立ち上げる。突然“ようれん菌”が足から入り、10日間入院、同級生が癌で死亡。「自分もこの先長くないのではないか」と考えるようになる。
51歳:長く勤めた会社を退職、本格的に音楽活動を始める。4月「始まりのコンサート」9月「わらぶきコンサート」10月「チャペルライブ」11月「原風景ライブ」、その他ボランティアやホームコンサートを始め、ライブ活動を積極的に行う。

現在に至る。