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    Jiro

竹の話の続きじゃが・・

昨日の竹の話じゃが、あれからいろいろ考えた。わたくしの仮説はこうじゃ。
竹は南の植物である。熱帯雨林のジャングルに生えている。そこのは無数の植物が密生しており、生存競争も激しい。そこで竹は考えた。外側だけで中を空洞にしたらあまった成長力を上に伸ばす力に出来る。下草の多いジャングルでは、いち早く光に向かわなければ生きてゆけない。竹は生存競争に勝つために中を空洞にした。しかし空洞のままでは弱い、雨風に負ける。そこで竹は考えた。”そうじゃ、ふしじゃ”そう、ふしを作ることによって強さと柔軟性を獲得した。さらにジャングルで栄養のある部分は表面の土だけじゃ。そこで竹は考えた。地中深くより横に長くねをはろうと・・・。そしたら、遠くでまた芽が出せる。
すごい・・・。この仮説が正しいかどうか知らんけど、竹が考えた独特の工夫。こういう発想がわれわれにも必要じゃ。われわれが竹から学ぶべき物は多い。
ところでこの仮説が正しいかどうか誰か調べて教えてください。
ほいじゃがわしのブログは地味じゃのう・・・・・他の人のブログはみな楽しそうじゃね。まあええ、自分自身楽しい人間じゃないし・・・きっと再々このブログを見てくれる人も根暗な人じゃろうのう。

近いものが見えない

昨日岩国行ってたら、左右の山々に竹が生い茂っている。
竹の生命力はすごい。我が家もタケノコの処分にこまっちょる。ところかまわず、にょきにょきと何十本も出てきてほっとくと剣山のようになる。
じゃがみなさん!竹ってむちゃくちゃ変わった生物じゃのう。無数に木があるのに、中が空洞でふしがある木は竹だけじゃ。竹の空洞にある空気は外と同じじゃろうか。わしらは見慣れているので驚かんが、竹は南方の植物なので、寒い所に住んでいる人が、初めて竹を見たらきっとびっくりするじゃろう。”なんじゃこの空洞は?””なんじゃこのふしは?”と・・・・・・・
そういえば以前テレビでインドネシアの山奥の部族の人が日本に来て、かにやたこを食べるのを見て”こんな変なものを食べるとはなんて野蛮なことじゃ”と言っていた。じゃが本人たちは山奥で色んな虫を”ご馳走”といって食べている。
わしらは身近なものや見慣れたものについてもっとよく考えることが必要じゃなかろうか。例えば親や兄弟の存在、例えば常識という物差し、例えば流行する物の価値、もっと言えば自分が生きていると言うことの意味。これらは身近すぎてその価値や善悪などあまり考えずに受入れている。
この前親父の13回忌の法要のときお坊さんに「今度、毛利家の墓の前で弁当広げて家族で食べていいじゃろうか、墓場は祖先と遊ぶ公園じゃ、ピクニックに墓場へ行こうと思う」と聞いてみた。お坊さんは「それはいいですよ」といってくれたが、本当にやったら不審な人物が墓場におると通報されんじゃろうか。これも今まで墓場はなんとなく気持ちのいい場所じゃなかったが、よく考えると自分の祖先がいる場所でその祖先がいなかったらわしはこの世におらんのじゃ。自分にとってとても大切な人たちがいるとこなんじゃ。